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真夜中のスーパーカーを観ただろうか?

自動運転

モノに魂が宿る?

ドラマの中で一つのキーワードとなるのが
技術者が強い情熱と魂を込めて作った車には本当に魂が宿ってもおかしくない
という言葉。

これは古来、
職人の仕事には魂が宿ると言われている事にも通じている事で、

実際、
彫刻や仏像、絵画などで
その様な評価を見聞きすることが有ると思う。

これは車の様な工業製品でも、
全く同じなのでは無いだろうか。

たとえば

調子が悪いので買い換えようと思ったら突然快調になる。
愛車に新しい彼女を乗せたら調子が悪くなる。

・・・などという話は
車好きで有れば一度は見聞きした事が有るかもしれないし

そもそも八百万の神々
という文化で生まれ育った我々日本人にとって、

工業製品に魂が宿っても
全く不思議とは思えないかもしれない。

そこで、実際に、
職人が精魂込めて作った車に魂が宿って
その魂が人の形を持って現れたら・・・

というのがドラマに繋がっていくのだが
この後の展開は是非ドラマを観て貰いたいと思う。

ワクワクする車が無い。

ドラマ中で「時代の要請」という言葉が何度も出てくるが、
これがこのドラマで訴えたい一番大きなポイントかもしれない。

時代のニーズに合わせて商品を作る

商売としては当たり前の事だが
本当にそれで良いのだろうか?

もっとワクワクする車を作らないと将来は無いのではないか?
車のデザインというのは、もっと楽しいものでは無いのか?
そもそも、今の様な車を作り続けることに意味があるのだろうか?
そんなことの為に車メーカーに入ったのだろうか?

主人公は「デザイン」という切り口から
「車作りとは?」というテーマに悩む日々を送っている。

これは、
自分も含めた今のオトナが
なんとなく感じている事では無いだろうか?

転じて、
ワクワクする仕事も無い、という事に繋がり
主人公は悩む訳だが

単純に車のこととして考えたとしても

子供の頃に憧れた「未来の車」が、
いざ自分がその「未来」にやってくると
それらはむしろ遠ざかっていて

世の中に溢れるのは
面白くもなんともない「実用車」ばかり・・・

数字の上では空気抵抗も少なく燃費も良いし安全性も高く
居住性も高くて使い勝手もよく考えられている。

誰が聞いてもイイコトばかり。

それなのに、
60年台・70年台の車に
今でも強い魅力を感じるのは何故だろう?

なぜ、時代は進み、技術は進んでいるのに
あの頃の車を超えるようなワクワクする車を見かけないのだろう?

車作りというのは、
この方向性で良いのだろうか?

車を作っている側は
本当に車に情熱を傾ける事が出来ているだろうか?
それこそ、魂が宿る程に・・・?

若者の自動車離れ
等という情報操作に踊らされて
ますます車業界が盛り上がらなくなっている気がする中、

車って本来はもっと楽しいモノだよね?

という事を思い出させてくれる
意外な良作だったと思う。

ドラマとしては

ラストは意外にも・・・という展開だったが

久々に胸の空くようなドラマを観た気がする。

再放送があれば是非
車好きの人には特に観て欲しいと思う。

エラー - NHK
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